~体をもって集えないときも、共に主日礼拝を捧げるために~
教会とは主によって呼び集められた神の民です。建物ではありません。集まるためには、一つの場を定める必要があります。そのために建てられたのが教会堂です。主の日の礼拝において本質的に重要なのは「集まる」ということです。もちろん、体をもって一つの場に集まることができないことはあるでしょう。しかし、時を聖別し、祈りにおいて共に神の御前に出るならば、共に御前に「集まる」ことはできるのです。そして、そこには神の民の交わりにあずかる祝福が同じように与えられているのです。
それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。(エフェソ2:18)
この式次第は、一人あるいは家族・友人など少人数で捧げる礼拝の式順です。
『祈りで集う主日礼拝』を共に捧げ、聖霊によって、礼拝の恵みを新たに受け取りましょう。
2021年3月28日
頌栄教会